やった問題をどのくらいの正確さで解けるか

出来る子や伸びる子の特徴は、インプットは別として、解いた事のある問題は、ほとんど間違わない。最初からできる確率は高いが、それだけではない。やって出来なかった問題を確実にものにすることの割合が高い。

同じ問題は、まちがわない。

伸びない子は、やった問題を解かしても解けない確率が高い。問題の聞いている基本を自分で構成しなおす力が弱いのだろう。反省と言うか真剣さが足りないのではないか。

でも意識を変えれば人間は変わる。

自分も高校時代の答案見たことあるが、テストが多すぎたのと、できが悪すぎたのか分からないが、いい加減にやっていたのが分かる。

だから反省をこめて言うのだが、せめて入試問題についてだけは、やった問題は、確実に満点が取れる。人に説明できるまで復習をしたほうがいい。

過去問についてだけは、本当に凡人は、満点が取れるまでやり直しをしたほうがいい。

過去問の演習が遅すぎる人が多い。とにかくやった問題二度目で間違うのはだめだと言う意識を持たなないとのびは少ない。

やった問題の解きなおしで間違うようではだめだと言う意識を持つほうがいい。

やったら受かると言うのは、やり方がいいときの話だ。やった問題は確実に。

それがアウトプットのときの心構えだと思う。

合格した子の目線で学習しよう

受験指導30年。指導がまずけりゃ合格できないが、所詮子どものやる気、根性、継続力、理解力そんなものが、根底にある。そういうのを伸ばすきっかけにはなるが、最後は子供の力を子ども自身がつけないと結果は出ない。

合格した子がどのような過程を経て合格していったのか、その過程をしらないと頭がいいの、悪いのとかで結果を評価する。合格するだけの学習の過程をしっかり持って、本番で力を発揮したのは、指導の側はよくわかる。

宿題まじめにやってれば受かるの、学校の言うとおりやればいいの、塾には行く必要がないとかよく聞くが、合格特に大学受験とか、どのくらいの点数を取り、どのくらいの時期に、どのくらい仕上げるとか、そういう戦略立てないと最初から不合格が見えていることが多い。

受ける前からだいたい分かる。経験と言うか勘が働く。

合格するには、合格した子がどのような学習をしたのか、科目間のバランスはどう取ったのか、いろんな子供の目線が分からないと結果は出ない。

子供の学習指導は、子供の目線、特に合格した子供の目線に、近づけようとすべきだ。

上から目線じゃ子供は伸びないし、受からない。受かる子は、受かる戦略たてて、バランス考えて、自分で組み立てが出来るようになる。

子供が最初からできるのはよほどの人間だ。そのやり方と組み立て方を教えないとむつかしい。分かれば、子供は自主的にやるようになる。

受験は総合力だ。一科目ではない。

 

 

授業形式

これは知らない人が多いだろうが、日本の授業形式は、フランスから来た。その基礎を作ったのが、聖ラサールいう人だ。宣教師の学校を作り授業形式を発案した。

今の鹿児島ラサール、函館ラサールのご先祖様だ。自分の母校のご先祖にも当たる。 貴族しか教育を受けられなかったのに平民にも教育の場を広げた歴史的意義は大きい。

授業のいいところは、大人数をいっせいに教えられることだ。そういう意味では、それまでより効率がいい。 効率性は、指導する側にある。寺小屋では、多くの人数を教えられない。 でも指導される側の効率性というのは、いろんなものがそろわないとむつかしい。

公立高等学校の授業で一番の問題は、同じ先生がずっと同じ科目を持たないことだ。転勤で、引継ぎがある。日本史の先生が、センター前に終わると言った人は、前任者が遅すぎて自分の責任ではないと言ったらしい。

でも逆に同じ先生で教え方のひどい人に3年持たれて苦手科目になったと言うのも聞く。

司令塔がいなくて好き勝手にやっている感じだ。 前の先生の進度が遅すぎると後の人が迷惑をする。塾生に聞いても教え方のうまさがぜんぜん違うと言う。うまい人とそうでない人。雑談が多すぎてすすまない人。 玉石混交なのだ。

いい先生に当たるかどうかは運しだい。高校特に普通科は今のままでは、無駄が多い。小学中学とは、違う。少なくとも義務教育ではない。 そんながくしゅうしシステムをいつまで続けるのだろうか。レールがどこで切断しているか分からない。

少なくともインプットについてはあまりにも効率が悪い。授業形式は、アウトプットつまり演習のときが機能する。だから、予備校は、インプットは自分でやれという。 インプットが十分でない人が多いのは、授業形式にも原因ある。そもそも教えるのがむつかしいのだ。

高校分野だとかなりきつい。だから宿題で丸投げしたくなるのもよくわかる。 でもインプットとアウトプットは、分けて考えないと学力はつかない。 授業のいいところとそれを補うものが理想だと思う。

日本史センターの2日前に終わる。

昨日高3が、日本史をやっていた。教科書学校でどこまで言ってるのと聞いた。するとその子が、学校の先生がセンターの2日前に全部終わると言ったらしい。

これでは、反復どころか何も出来ない。

でも正直でいい先生だと思う。自分は、社会で受験のとき苦労したから分かるが、一回とかで覚えられる量ではない。高校社会は、中学までと細かさが違う。

日本史は、反復すれば安定感抜群な科目なのだが、おぼえる量が多い。どうして先にすすんでやらないとまずいか、このブログを見ている賢者なら分かるだろう。

塾生で、日本史やってる子は、3周目に入った。それでも近代以降は、むつかしいのでもう一度見なおすとか言ってパソコンで教科書の解説をやっている。

社会とかあとでなんて小学校か中学までだ。

学校の進度ではまずいと耳たこだが、言ってることが分からないと難関とか無理だ。

実際の中身が分かっている親とか少ないだろう。

学校は、神様です。

そんなことできるか

自分はいつも思う。

理解力が高い子どもそれも飛びぬけた子供ではない。10パーセントの子どもたちだ。田舎でも学校で、5番内とかそんな子達だ。中学3年間で高校3年分ぐらいまですすませることが塾のシステム使えば出来るとi思っている。やる気と素直さと親の理解がないと無理だろうが。

塾生見ていてもやる気のある子は、すすむスピードが半端ではない。こどもは、やる気になったらドンドンすすむ。おもしろくなるのだろう。毎日んよろこんで来る子がいる。

これは、時期が早ければ早いほどいい。鉄は熱いうちに打て。

すすませるときは、教科書とか基礎からやらせる。塾にもいろいろあるが、学校の進度と同じでは意味がないと思っていた。授業形態のときもそうだった。

塾で基礎の予習をさせると学校の授業がよくわかる。自分が言いたいのは、何でも両輪のほうがいい。学校の授業も生きるのだ。学校の授業だけで十分かは人によるだろうが、狙うところが高ければたかいほどそれなりの計画とか立てないと夢で終わる可能性が高い

不思議なのは、親が受験の経験があったり、上の子で失敗していても、なんら無策な人が多いことだ。

自分の場合は、子供にうるさすぎて反発を食らったほうだが、学習の進度は良く考えたほうがいい。自分の子ほど教えにくいものはない。笑。

塾出身で現役で国立に行ったが再受験で医学部狙いの子でこの塾で浪人している。塾の先生が、すすめるだけすすめたほうがいいということがよくわかってきた。基礎もだが、演習の時間が現役では取れない。でもこれは、卒業したり、失敗しないと分からないだろうと。

中3で、高3まで毎日来れば終わらせることが出来る。それが出来れば、大成功なのだ。

そんなのできるかと思われるだろう。でも高3分野数学と物理だが、中3の最後までで終わらせた子がいる。

田舎でもいるんだから、都会ならもっといるだろうし、できるだろう。

理解力のある子は出来ると思っている。毎日来ればと言う条件つきだが。

それが出来ればどこでも受かる。凡人が天才と戦える。

進度がたいてい遅すぎるのだ。塾生で予習したこととか授業が早すぎるなんていわない。これで分かるのかと他の生徒の心配している。

基礎の定着にも演習にも反復する時間がほしい。ここが大事なのだが。

学校神様の田舎では、塾がなに言ってるのかで終わるだろうが、受験は甘くはない。

先んずれば人を制す。

分かると、出来ると、速くできると、バランスよく全部の科目が出来ると言うのは、次元が違う話だと思う。4次元で受験は考えたほうがいい。

 

本物の実力をつけたら結果は必ず出る。

マグマがたまって、地上に出れば爆発が起きる。これと同じことが受験でも言える。一定レベルの基礎力、応用力、が付き一定量になれば、結果が出る。

どのくらいのマグマがたまればよいかが受験校で違うわけだ。マグマがたまるには、時間とと思考力も必要だ。思考力と言うのは、基礎をつなげる力だ。これがある子は、基礎の入れ込みをすれば、入れた分だけ伸びる。

思考力を育てることとどう効率よくやるかの二つに集約できる。効率よくやると言うことだが、基礎を十分に入れ込むことが大切だが、塾生見て分かるが、基礎の入れ込みが十分な子供が少ない。

これは、教科書とかの読み込みが不十分なのに、問題を解くということが、学習だと習慣づけられているのだろう。学校システムの枠に取り込まれたら分からなくなるのだろう。

これは、いろんなところの塾の先生もブログでも書いている。基礎を十分に身につける過程が、非常に不十分だと思う。マグマのほとんどは、基礎力と思考力だ。問題演習は、基礎を思考力でつなぐ訓練だと思う。訓練しても、基礎がないと違った問題だと解けない確率が高い。

学習が暗記だと言う人がいるが、まともに学習していないか、受験をしたことのない人か、異常な暗記力を持った人だろう。暗記だけですむような入試問題とか出ない。

基礎力がないのに問題解く学習がおおすぎる。時間かけても伸びないのは、基礎の入れ込みが足りないことが多い。効率が悪すぎる。インプットできないのにアウトプットはできない、それより学習がつまらないものになることが問題なのだ。

十分基礎を入れ込んだら、問題解きたくなる。こういうのがまともな学習だろう。段階を飛ばして難問とかやったところで、身につくのは、自信損失とおもしろさのなさだけだ。基礎力をつけるのは簡単ではない。教科書とか分かってるつもりがとんでもなく分かっていないことのほうが多いのは、指導してよくわかる

本物の実力とは何かを良く考えたほうがいい。実力が付けば、必ず結果は出る。

塾生見て子は、大丈夫だと心のそこから思えた子供で受験に失敗する事はなかった。

いいたいことは、一定の実力が付けば、失敗はないという事だ。

そこまで持ってくるのには、戦術と戦略が必要だと思う。凡人は自然に身につくものではない。

熊本校の塾生たちの声

自分は、塾生指導を30年以上やっていて、どうやったら効率よく学習させたらいいのか研究してきたつもりだ。そしてスーパーイーグルと言うシステムを作ってきた。企画立案からするともうすぐ10年になる。

F大先生とかほかのみんなの協力なしでは、進行形だが、全学年全教科対応とかできるものではない。

塾生がどうしてこの塾を選んだのか、どういうところがこの塾のシステムがいいのか子供たちの声を聞きたいと思って、熊本校の塾生たちに聞いてもらった。

なぜか。

自分のところの塾生に聞くより、他校の生徒に聞きやすいし、客観性があり、自分も参考になるからだ。

浪人生のT君の言葉。

自分が苦手と思った場所が判明したときに、その単元の基礎に戻り、インプットのやり直しとアウトプット練習を経て、入試レベルまでの練成が出来る点がこのシステムの最大の魅力だと思います。これを実現するためには、自分の席から印刷できるのが不可欠の機能だと思います。

中3のO君の言葉

前のやった箇所がどうしても理解できなかったと言うときに次回もう一度同じことができるというシステムは助かります。他の塾を転々としていましたが、翌日でも同じことできる塾はありませんでした。

高2のS君の言葉

学校で履修しない科目でも対応できるのは心強いです。生物と物理が同時に実施されるため生物が学校で取れません。そのため、自分で進めていける(しかも分かりやすい)と言うのは学校の授業では実現できない大きな魅力だと思います。過去に、数学を塾で予習して行った時に、学校の授業はまだこんなところだったのかと何度も思いました。塾で学習する速度はとても速いと言うことを実感しました。

ありがたい言葉で、励みになった。

 

ふしぎな現象

塾のパソコンが、電源の入らないのが2台あって、どうしても修理ができないと言うので、いつも最終的にお世話になっている人、に依頼をした。

するとその人が何もしないのにその人が触るだけで、2台とも直っていた。以前も何度もそういうのがある。

パソコンも命や電脳生命体みたいのがあって、自分らだと休憩したりサボっても大丈夫だとなめているのではないかと思ったりする。

その人が来るとサボれないとあきらめるのか。

物理的な理屈とか、いろんな現象を科学的に証明できないのはいくらでもあるだろうが、科学的物理的に異常な状態が、その人が来ただけで本当に直るというのは、どう説明できるのだろうか。

それも何度もおこる。その人のパソコンの知識や技術力は、半端ではない。

その人の脳みそが、パソコンの電脳とつながっているのではないかと、周りも言う。

ふしぎだ。

本当はどうなんだ

ネット社会になって情報が不正確なものも増えたが、政府の情報操作とか、ご都合主義の政策とか取りづらくなったのはいいことだと思う。

歴史にしても本能寺の変の本当のとこがどうなのかとか、いろんな説が出てきている。それも、証拠とか、文献もでてきている。歴史ミステリーと言うのもネットで出ていたが、本当の歴史とか、政府に都合の悪い、また有力者に都合の悪いのは、消されている可能性がある。

御用学者もいる。横田喜三郎などは典型だろう。東大法学部教授で国際法学者で高名だが、戦前は、天皇制批判で、軍国主義を援護し、今度は、GHQの統治下で軍事裁判を正当化し、最高裁長官になったとたん、今度は天皇制を正当化する。

自分の都合が悪くなったら、自分の著書を回収して回ったと言う逸話が残っている。こういうのを頭がいいというのだろう。笑

でもこういう変節男が、最高裁長官までなれる日本とかどうなんだろうか。

日本人は、権威に弱い。思考停止するのは、勝手だが、本当はどうなんだと考える力がないとまずいのではないか。学習法にしても自分の頭でよく考えることが大切で、学校の言われたことだけではまずいことのほうが多い。

ぶれないことも大切で、日本の武士道精神を忘れてはおしまいだろう。

頑固なのと筋をとおすのは、ちょっと違う。

 

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大丈夫か

先日ある2番手の県立高校の3年で文系トップと言う子が、体験に来た。聞くと模試の成績が、トップにしては、悪すぎる。昔ならそんな点数ならトップクラスにもいない。

どうしてこんなにレベルが低くなったのか。これは、指導法のよしあしのレベルだけの話ではなく、小学、中学のレベルが田舎は、落ちすぎて、高校入学の時点で、とんでもないくらい、基礎力と思考力が低い子供たちが、大勢入学しているのが想像というより、現実になっているからだろう。

これでは、昔からの指導法ではますます通用しなくなっていて、大学が高校分野の補習をするように、高校も中学までの復習をしないとまずいのではないかと思う。

でも、高校分野も理科など相当増えている。そんな余裕も無い。

ゆとり教育の脱皮で、高校分野も中学分野も」学習量が増えている。

小学、中学乃学習がうまくいっていない。親が、子供の学力に無関心層の割合多い。

スポーツ大会で優勝したら、張り紙出したりしている中学とか多いが、文武両道が本道だろう。心と体と脳みそ。バランスが大事だろう。

そのトップと言う子は、体験に来て、帰るときニコニコして帰った。やる気はさすがにある子なのだろう。

積み重ねが大事だ。小学から、大学受験の準備は始まっている。高校入学時点で、とんでもない学力で入っている。大学入試ならドベでもうかればいいだろう。次元が違う話だと思う。

思考力は、小学で遅くとも中学でつけないと、伸ばすのがむつかしい。

また基礎とか基本が出来ていない子が多すぎる。

基礎基本がなくて、思考力がないと、学習が暗記になって、おもしろくないになる。

自分の脳みそで見たことのない問題でもドンドンとけるようになれば楽しくなるだろう。それを目指さないといけない。