模擬試験と偏差値

模擬試験の偏差値というのは、あまり気にするとよくない。たろう君とかよく偏差値のことを気にするが、そもそも問題も違うし、母集団も違えば、偏差値70が、偏差値60になったりする。

あの大学は、偏差値がどうのと詳しい人に限って、受験ではうまく行かないことが多い。不安なのは分かるが、本番で出された問題を時間内に解けるようにするという一点に集中するべきだ。

模擬試験の偏差値を信じすぎるとよくない。 特に高1とか高2の模擬試験とかひどすぎる。宮崎大学医学部の合格偏差値が、50もないS台の難関模試とか、自分の塾生でとても受かるレベルでない子がAをとっていた。国立の医学部の合格偏差値が40台とかどういう基準なのか信じられない。冗談がきつい。

高1とか高2で東大A判とか、医学部Aとか信用するととんでもないことになる。A判とかまだほとんど履修していない段階で、分かるはずもない。なめないほうがいい。母集団が違うことが多い。また3科目で判定できるはずもない。

A判定が悪いわけではないが、どういう魂胆か分からないが、乱発で勘違いする親も子も多い。

模擬試験である程度信用できる判定は、高校3年の9月からの模擬試験だ。浪人も進学校も参戦してくる。特にオープンとか、特定の大学これは旧帝大とかレベルの高い子の集まる大学の、模擬試験でA判とると可能性は高い。母集団のずれが少ないからだ。

でも、それ以外の判定だからだめというわけではない。模擬試験は、ある程度自分のレベルを知らせてくれるものであって、弱点を教えてくれるもので、気合を入れるいい材料だ。

確かに、学習が順調に進み、学力がついてくると模擬試験の点数も上がる。そしてそれをばねにするのが一番いい。でも、悪かったから,だめだというわけでもない。 本番で力を出すように、学習のやり方、集中力、を出して努力すべきだ。

昔、塾生で11月の模試で、E判定で受かった子がいた。その子は、まだ結果が出ていないだけで、本番には間に合うと言っていた。感心した。結果は、本番で出せばいい。そして早稲田に受かった。

そのために何をすべきか、どうすべきか前向きに考えることが一番大事だと思う。模擬試験で、また偏差値で、合否が決まるものではない。 あたり前のことを言ってるだけだが、偏差値、偏差値というのは、やめたほうがいい。また判定は、当てにならないと思ったほうがいい。

A判定でも安心はできない。安心したら逆転される。自分もそうだった笑。

飛びぬけたAしか信用できない。

決め付け

塾をやってて思うのは、子供の能力とか決め付けるとよくないと思う。能力を決め付ける言葉は嫌いだ。いいほうに言うならいいが、指導する人が、あれは国立は無理だの、浪人しても伸びないだろうと平気で言う人がいる。これはどうしてなのか。

こういう人が意外と多い。そういう人は教育者としては適性がないと思う。評価するのは誰でもできる。どうしたら伸ばすのかが問題だと思う。

評論家が経営してもうまくいかない。昔退職した校長が集まって塾を作ったが、3年も持たなかった。

昔は、浪人生は教えていなかった。というより教えられるようなシステムでもレベルでもなかったからだ。知り合いが娘さんを連れて、塾に来た。何の話かと思ったら、自分の娘を国立の歯学部にやりたいが、担任に言ったら、高1のときの成績から高3まで模擬試験の成績が落ちてきている。浪人しても受からないだろうから、後期で受かった国立の他の学部に行くべきだと言うらしい。どういう論法なのかさっぱり理解ができなかった。

その子に本当に行きたいのかと聞いた。本人の意志が固そうなので、学習のやり方の概略を教え、ある大手の予備校を薦めた。

そしたら、1年後、親とその子がうれしそうに合格の知らせを持ってきた。まだいっぱいあるが、決めつけが多い。

自分も授業でとか、個別指導で教えていたころは、正直その子の学力と素質とかが気になった。その子の学力が高ければ、やりやすい。基礎ができていない子を教えれば、どこから教えればいいのか最初は分からないことがある。伸ばすのは容易ではない。これは事実だ。

何度も説明しても分からないと正直こっちもきつい。子供もきついが、お互いがきつい。そういう経験はいやというほど味わった。その割には、伸びないこともある。人間が人間を直接教えていい場面とそうでない場面がある。直接人が教えたほうがよいというのもひとつの決め付けだろう。

今は指導の方法を根本的に変えた。自分の中では、今までの自分の指導法の中では、一番いいやり方だと思ってやっている。まず伸びの幅が大きい。

それはそれとして一番の問題は、今までだとその子の能力とか素質とか性格の素直さとか子供の側の事が気になった。もちろんそれが関係ないとは言わないが、これがそれほど気にならない。やればできる。これを繰り返せという組み立てさえしっかりできれば、子供は自分でやるようになった。後は時間の問題だけだ。

昔は、半分叱りながら、やっていたが、今は、子供の伸びを見ながらほめることが多くなった。やる気のない子は、もちろんしかる。そしてどうしようもないときは、金と時間の無駄ということで、退塾を薦める。そっちのほうが、相手のためでもあり、こっちのためでもあるからだ。

できない子もできるようにでき、できる子はますますできるようにするのが、塾の仕事だと思う。学校も本来そうだろう。

だいぶ自分の中では、子供の能力を決め付けることが少なくなった。決め付けるのは、伸ばす技術と自信がないからだと思う。

子供は、どう伸びるか何時伸びるか分からない。方向性とやり方と子供のやる気が合体すれば、すごいことになる。何度も経験させてもらった。子供は、捨てたものではない。指導する側とされる側が一体化すると激変することがある。

学力の下克上は、何時起きるか分からない。決め付けはよくない。塾の仕事には、ロマンがある。できない子もできる子を逆転できる。受からないという子を受からせる。

決め付けては何も生れない。子供は、どこから伸びだすか分からない。でも、伸ばそうとする働きかけがないのに、自然に伸びることは少ない。

 

なぜ難関中学受験したほうが、いいのか。

これを言うと反発を受けることを覚悟で本音を言わせてもらう。本音しか書いていないが。笑。 中学受験をしたほうがいいと言ってるだけで,入学したほうが良いとまでは言わない。

誰でもやればいいというわけではないが、ある程度の素質のある子は、中学受験の問題を解くほうが、その子のためになる確率が高い。

子供の学力が伸びるのはいつかということが問題なのだ。 昔は、この地区も鹿児島ラサールを目指す子が多かった。自分が塾を作ってから毎年受験する子がいた。中学受験で失敗しても高校から入る子がいた。できる子は、かなりの割合で鹿児島ラサールを目指した。高校で落ちて、宮崎の宮崎西高に入った子もいた。

その後、中学受験した子達が、大学受験でどういう大学に入ったかというと、東大、京大、一橋、九大医学部、北大医学部。阪大、その他は全員国立医学部。ほとんどというかみんな一流大学に入学した。教え子のほうが,自分より上のレベルの大学に行ったということだ。笑。

ところがこのごろは、中学受験でも地元の中高一貫か宮崎の私立に行く子が多く、難関の私立の愛光とかラサールとか受けようとする子はいない。ラサールの実績が悪くなっているのもあるだろうが、理由はよく分からない。

自分の塾で、中学受験、高校受験失敗し、地元の高校に行き、大学受験で東大文一にいった子がいた。その子は、高校時代一度も、二番にならなかった。ずっとトップで、校長から学校賞をもらったと言っていた。その学年の塾生の数はすごかった。その子が、塾にいたおかげだった。笑。

それはそれとして、こういう話がある。自分の塾生ではないが、中学受験で落ちて、高校受験で大手の塾に行った子がいた。高校で、灘とラサールに受かったが、母子家庭なので学費の関係で地元の高校に入った。

全国高校の模試で8番ぐらいだったらしい。 塾生が同級生だった子がいて,その子の話をよくしていた。性格もすごくよく、授業が終わったあとわからないところを同級生のために、黒板使って説明してくれる。学校の先生より説明が分かりやすく、生徒の多くが残って学習をしていたらしい。

その学年は、全体の成績がよくて宮崎の県立でも上にいたらしい。結局その子は、東大に受かる力はあったが京大に行ったと言う。宮崎県全体でも一番だったらしい。その子の影響で、みんなよく勉強したと塾生が言っていた。最近のことだが、予備校の先生になったといううわさを聞いた。最初から塾や予備校の先生になると決めていたらしい。

一人で学校全体を牽引していた。ネイマールのような子だ。こういう子がいると学校も変わる。

これは自分には非常によく分かる。何が言いたいのかというと学力がつく過程は、受験勉強の過程であり、どういう内容を学習するかにあり、一番頭の柔らかい小学校と中学校のときに難関私立の算数や理科とかやると、スポンジが水を吸引するような脳みそになる確率が高いということだ。 こういう子供は、先取りとか自分で予習ができるようになる。

入ったら分かるが、難関私立の授業が優れているわけでもないし、生徒の質が高いだけともいえる。学力つけるより、劣等感つけに行くだけかもしれない。笑。

受験勉強の過程で、ものすごく大きな学習財産を身につける可能性がある時期に何を学習するかは、能力の問題だけではない。そういう学習財産を身につけた子は、普通の県立に行っても十分大学受験でも成功するだろう。

難関大とかねらうなら、どういう学習を小学校のうちからすべきか考えないといけない。何でもタイミングというものがある。 素質のある子も、時期をはずすとただの人になる。そういう人が、田舎は昔より多くなっている気がしてならない。

目学問と耳学問

学習のやり方の根本にあるのが、耳学問と目学問だ。人から習うという耳学問と、自分で本を目で読んだり、調べたりする、書くと言う目学問というのがある。 自習というのは、目学問。授業を聞いたり、人の説明を聞きながらやるのが耳学問。今では、映像教材も耳学問に入るだろう。

自分の経験と塾生指導の経験からすると、文系科目は目学問中心でいける可能性が高いが、理系科目は、特に高校分野に入ると数学とか理科の科目は、耳学問の必要性が高い。社会も暗記だけではきつくなる。一人一人違うが、目学問中心で良い科目とそうでない科目があるのが普通だと思う。

そもそも目学問だけでいける人もいる。そういう人は、相当能力の高い人だ。簡単に言うと天才だ。自分の高校時代にもそういう化け物級の人間を見てきた。読んだだけで覚えられる。そして理解できる。そういう人もいる。

残念ながら凡人はそうはいかない。人から説明を受けたり、初めて出てくる言葉を説明受けたりそういう回路を一度ぐらいは、耳というかそういう過程を経ないと脳みそに届かないというのが普通だ。それなら相当脳の作りもいいほうで、何度も何度も耳学問させないと脳に届かない人もいる。良いも悪いもない。個性だからだ。

高校になると耳学問で繰り返さないと脳みそに届かない人が多い。 脳の構造とかは一人一人個性が違う。文系科目の好きな人、理系科目の好きな人がいる。好きな科目は目学問中心でもいける。自分も数学とか英語は自分でやれた。社会とか理科はもっと耳学問が必要だった。特に理科は、必要だった。理科が、F大先生の説明の耳学問ができたらよかったのになと思う。理科とか専門用語の詳しい説明がないと苦しい。また、社会も用語の説明がないとただの棒暗記になりやすい

理科とか社会とかのほうが耳学問の内容の良し悪しはかなり理解度に影響する。分かりやすさと説明のうまさで子供たちの理解度は異なる。

。 東進の地理の村瀬先生のネットでの説明とかすばらしかった。ああいう根本からの説明がほしい。耳学問がすばらしいのは、ああいうのだと思う。F大先生の理科とかは、根本からすべて説明されている。感動ものだ。本当に分かっている人の説明は楽しい。自分もああいうのに近づきたい。

目学問ができれば、耳学問はもちろんできる。目学問のほうが、難易度が高い。大学に入っても目学問ができればやっていけるだろう。でも大学というのは、専門に分かれる。文系の人、理系の人。自分の好きな分野に行くだろう。目学問でまじめにやれば卒業ぐらいはできる。

そもそも耳学問をしないといきたい大学に入れない人が多い。高校分野は、科目数が多い。国立ねらうならたいていの人は、耳学問の必要な科目というの出てくる。また全部必要な人もいる。笑

耳学問が必要で、しかも相当繰り返しをしないと脳みそに届かない人のほうが多いのが現実だと思う。

やればできるは、うそっぽい。どうやってやるかが問題なのだと思う。

カセットの中の先生

自分は、大昔のことだが、塾を始める前は、ほかの塾でバイトをしながら司法試験の勉強をしていた。塾のバイトは面白く、自分で言うのもなんだが、人気講師になっていた。これで塾とかが、自分の天職だと感じた部分もあった。でも田舎は、特に塾の認知度が低く、親は塾経営とかには反対だった。

それはそれとして田舎で一人でやっていても、どうしても単調になる。東京にいる知り合いの合格者に、いろいろ聞いたら、早稲田何とかという司法試験予備校の小塚先生の合格講座というのが良いという。カセットで一科目26巻ぐらいだったと思う。

それを早速注文して、聞いたら、目からうろこというか感動した。内容は、合格者が書いた答案をその先生が、添削するという内容で、その鋭さと同時に,どういう答案を書いたら合格答案になるのかがおぼろげながら分かった。面白すぎて短期間で何回も聞いた。合格者の答案もぼろくそに批判されたり、そういうのは初めてだった。

民法という科目だったが、二週間足らずで苦手意識がなくなり大好きになった。そのとき思った。こういう集中した学習のほうが力がつく。何回も聞くと分かるようになる。説明のうまい先生の授業はやり方考え方を伝えるのだと。耳学問のすごさが分かった。目学問だけでは、限界があること。二つとも大事だということ。

正直これまで感動を覚えた授業というのには、あたらなかった。学校の授業では、覚えなかった感動と急激な理解。そういうのは、このとき初めてだった。短期間でもやり方しだいでは、急激に伸びることを肌で感じた。通信で模試を受けていたが、点数が急激に伸びて驚いた。

その先生が、福岡に来られるということを聞いて、わざわざ福岡まで行った。やはり生の講義もよかったが、講義はカセットで十分だと正直思った。 それからまもなく縁あって、自分の塾を立ち上げた。27歳のときだった。

このカセットの先生に出会わなければ、今の自分の塾の指導形態は、生れなかっただろうと思う。 その先生は、そのあとずっと続けられたらしい。その予備校は最近無くなった。どうしていらっしゃるのだろうか。でも今でもその先生のフレーズが聞こえる。

ーであろうか。-が問題となる。なるほどー。しかしー。そもそもー。したがってー。

小塚一刀流、すばらしかった。 今でも感謝している。

受験合格の鉄則

よく浪人した子に、君は何回志望校の過去問を繰り返したのと聞く。また、たろう君に君は予備校に行ってるとき何回過去問を繰り返したのかと聞く。

すると一回とか、やってないとか信じられない答えが返ってくることがある。受かるほうがおかしいのではないかと思う。優先順位が違うのではないか。どうしてそういう学習をするのかが不思議なのだ。

20年ぐらい昔のことだが、自分のおじさんが郵便局の局長をしていて、部下の子に優秀なのがいて今度受験するから、面倒を見てくれないかということで直前に教えることになった。東大を受けるという。もちろん学校では一番の子だ。

少し問題を解いてもらったら,確かにセンスがいい。12月なので東大の過去問は何回やったのかと聞いたら、やっていないという。正直信じられない。どうしてやらないのと聞くと学校の先生が、過去問は同じのが出ないのでやらなくていい、予備校の予想問題をやったほうが良いというので、河合とか駿台の予想問題をやっていた。

説明して過去問やらせ始めたら、今度は直前講習という東京の予備校に、学校推薦でセンターが終わってから半月あまり東京出張。これで完全に計画が壊れた。

そして不合格。

センターで取れていたので慶応に受かったが、正直何やってるんだろうと思った。数点で落ちていた。

どこの予備校に行こうが、どこの高校に行こうが、受験の合格の鉄則は、過去問の分析と反復にある。難関だと一点にボーダーあたりだと信じられないほど沢山の人数が集まる。東大模試とか受けた人なら分かるだろう。

そういう中にあって、10年分3回ぐらいは繰り返すほうがいい。同じ問題は出ない。当たり前だろう。どういう問題が出るのか、何をその学校の先生は求めていて、どういう生徒に来てほしいのか、過去問には、そういうメッセージがある。そういうのが分かってまた学習すると力がつく。やらないとまずい。

陳腐だが、敵を知り己を知れば、百戦危うからず。

受験で一番怖いのは、方向性とやり方を間違うと永遠に受からない可能性あるということだ。難関だと特に学習方法と学習理論がある程度確立しないと難しくなる。

敵ぐらい知らないと話にならない。あっという間に本番を迎える。

何やってんだろうと思うような学習をしても成果は出ない。

できなかったのをどうするか。

入試の過去問とか教科書の例題とか大切なものは、絶対いい加減にすべきではない。

予習中心だと分からないものが分かり、復習の時間が少なくてもすむ。分からないのが増えすぎるとどうしようもなくなるのだ。学習の循環が大切だということを何度も言っている。

それはそれとして、教科書とか入試問題とか大切なものは、できなかったものはそのままにしないと固く心に決めて学習すべきだ。また学校のテストのできなかったところは、復習をしたほうがいい。基礎が抜けていると話にならないからだ。

恥ずかしい話だが、昔自分の高校時代の答案とか実家の倉庫で見つけたことがあった。できなかったのをそのままにしていた。しかも何でこんなにいい加減にやっていたのだろうと不思議に思ったくらいだった。テストが多すぎて復習する時間がないのと、点数が悪すぎてみるのがいやになっていたのだろうと思う。笑い。

ただテストというのは、自分の実力を試すのと弱点を見つけるためにある。基礎力とかないうちのテストだけではまったく時間の無駄だ。 できなかったものはしっかり復習するというのは簡単ではない。これができるような子は塾生見ていても少ない。自分もそうっだたからえらそうなことはいえない。

それを前提で指導している。しっかり復習ができる子だけだったら、塾など要らないし廃業するしかない。

ただ自分の分からないところとか、自分の苦手な科目とかは、基礎ができていないのだから、できなっかたら、基礎に戻る癖は必要だ。受験のときは、特に大切だ。

不思議なことに必ず怠けたり分からないのをそのままにすると、あとで必ず自分に戻ってきて、自分で苦しむことになる。自分もそうだった。できなかったのをそのままにしていたら必ずつけが回ってくる。だから因果の芽は早く摘むほうがいい思う。

できる子は、できなかったところをいい加減にしない。いい加減にしないほど学力がついて入試に受かりやすくなる。当たり前だが、いい加減さの少ないほど学習において有利になる。 いい加減さをどこまでなくすかが、受験の勝負とも言える。

仕事でも何でも同じだと思う。

反復

毎日ブログを書くというのもなかなかきつい。塾業30年あまり、ぶれないと言うか同じことをずっと言ってきた。

それは、繰り返せとか、何度もやれということだ。なぜか。それで成績も上がるし、受験でも受かるからだ。単純な原理だが、これしかない。天才でなくても、繰り返すことで大学受験レベルまではどうにでもなる。これが自分の結論だ。

大学受験までは、新しい発見とかする必要はない。 基礎を瞬時に組み合わせて、問題を解く力をつければ良いだけだ。それには、早く正確に組み合わせる力がつけばいい。難しくしているのは、反復しないからだ。 効率が悪く、基礎も十分でない学習を、何年もやるから力がつかない人が多いし、かつての自分もそうだったとおもう。

塾生を見ていても、不登校の子が、1年半で早稲田の特待まで取れるし、偏差値40ぐらいから2年足らずで、国立の医学部に受かった子がいる。こういう結果は、反復という単純な原理を子供たちが、素直に手順に従って実行したからだ。少なくともやって伸びない人間はいない。

学習障害の子もいるが、パソコンで反復させていたら、学校の成績で、まだ下にいっぱいいるようになった。学習障害と言われた子が、そうでない子を抜いているというわけだ。それも一人や二人ではない。二桁の人数を抜いている。もちろん親も喜んでいるし不思議がっていた。

どうしたら受かるのかどうしたら伸びるのか、その根本のところに反復がある。

車はなぜ進むか。車輪が回ることを繰り返す。いろんな現象も単純な繰り返しの原理に支えられている。学習においては、特に繰り返しが大切だと思う。 繰り返すことは同じことをやっているわけではない。理解も深まり、スピードもつく。何より全体が把握できポイントが、つかめるようになるわけだ。

6年も何年も学校に通っていても力がどうしてつかない子が多いのか。この理屈は分かるだろうと思う。学校は、社会生活のルールを学び、友達をつくる場だと思う。学力つけるだけなら学校はいらない。もっといい方法がいくらでもあると思う。

でも繰り返すという学習の作業は容易ではない。これをどうすればいいのか。そこのところに突破口があるが、そこにいろんな仕掛けを作る必要があると思う。

反復のない学習は天才以外やるべきではないと思う。反復することで、凡人でもすごい学力がつくことを実際見てきた。 塾の指導理念の一つに反復があるのは、これが子どもたちの学力を伸ばす原理だからだ。もちろん受験成功の原理でもある。

どう反復するか何を反復すかが鍵を握る。それらは次回に譲る。

伸びる子。

伸びる子は、いる。いないとなるとあの塾行っても、大して伸びないということになり、ジリ貧になる。塾というのは、成績伸ばしたりとか実績とか出さないと段々廃れてくる。改善と改良を加えていかないと今のように少子化だと苦しくなる。20年前にあった20以上の塾仲間は、今3つしか残っていない。

それはそれとして、何度も同じこと書いているので気が引けるが、学力伸ばすにはまず基礎の入れ込み、単語とか、教科書とか基礎知識を入れることと、あとは問題を解く。当たり前のことを当たり前にやるしかない。

でもこの当たり前のことが分かっていないというよりこれが実際はむつかしいということだ。単語を覚えたり、基礎を作るのが大切なことでこれができれば、できるようになるのだと子ども自身がしっかりわかる必要がある。

実際教えて分かるが、基礎ができているほうが少ない。中学生でもよくここまで親もほっといたもんだと感心するような子が結構いる。それが中三とかだとかが今の時期、友達連れてくると塾も大変なことになる。最初どこから復習させたらいいのか見当がつかないこともある。

基礎が大事だとかそんな意識がないのだ。テストがあったらなんとなくやる。こういう意識でずっとやってきたわけだ。こういう子は、どうすればできるようになるのかを叩き込む必要がある。

自分の塾はどんな子でも受け入れる。変わることがあるからだ。意識が変われば子供は変わる。でも現実は大変だ。年によるが、できる子が多いとできる子が集まる。

成績とか悪い子は、学習に取り組む姿勢がそもそも間違っている場合が多いのだから、根本を少しでも良いから変えようと働きかけるしかない。 塾生の中には、急激に伸びる子がいる。どういうやり方をすれば伸びていくのか、子ども自身が分かって、それにしたがって努力を継続していく子供だ。塾の仕掛けをうまく使うことができるようになった子は、はたから見ていても伸びるていく姿が想像できる。

子ども自身が伸びようとする意識を持ち、どうすれば伸びるのかはっきり分かって実行して、塾の仕掛けをうまく使っていく子は、面白いほど伸びることがある。 仕掛けが違うだけでどこの塾でも同じだろう。

どうすれば伸びるのか子供自身が道筋が見えないと伸びにくい。やればできる。それはそうだが、具体的に伸びる道筋が見えないと子供は、続かないことが多い。いろんな子に合った いろんな仕掛けを作るのも大事だと思う。

あと子供を伸ばそうとする指導する側の強い意識も大切だ。子供も素直だとますますその意識が強くなる。教えたり伸ばしたりするほうも人間で、お互い人間だ。

素直で向上心のある子は、伸ばしやすいし伸びやすい。

 

センター対策の全体像。

いよいよ大学受験も後半戦にさしかかってきた。

このブログは、受験生や親に対して少しでも参考になることを書いているつもりで、自分の考えを整理することも目的にしている。したがって、受けをねらったものでもないし、同業者に共感を呼ぶような内容でないことをおことわりしておく。

ところでセンター試験対策といっても特別なことをする必要もない。まず、理系科目と文系科目に大きく分けて学習する対象を分けて考えたい。

理系科目と社会は、教科書と過去問が基本となる。国語は,現代文なら漢字と熟語、古文は、単語と文法、漢文は特有の漢字と句法。英語は単語と熟語と文法が基礎だ。これらも過去問だが、基礎知識が十分でないと伸びにくい。また読み方とか解法の研究をすべきだ。

数学と理科と社会は、教科書の理解と暗記が基礎となる。だから参考書とか読むより教科書を中心として読み込むほうがいい。特に生物と化学は、教科書中心のほうがいい。塾生もよく言う。過去問で時間を計って演習する。分野ごとにやったり、全体としてやったりを交互にやるほうがメリハリがついて良いだろう。

参考書というのは、教科書の分からないところを調べたりするためのもので、教科書読み込んでからやるならわかるが、教科書無視してやると、思わぬところで失点することがある。これは塾生もよく言う。

国語は、古文がむつかしい。東大の2次の文章より読みにくい。漢文は、なれないとどうしようもない。現代文はかなりへんてこな文章が、2年連続で出ている。国語は鬼門だ。

英語は、問題はたいしたことはないが、長文が多く、速く読む訓練ととき方の工夫が必要だ。単語は必死で覚えるべきで、単語力がないとどうしようもない。

教科書とか単語とかを正確に読み込んで覚え、過去問にあたって、また基礎に戻る。あたり前のことを、何度も繰り返すのが一番高得点を取れる道だと思う。

2次科目のある人は、2次対策をしながらセンター対策をすべきで、特に数学と理科は、2次力がつくと高得点が取れる可能性が高い。直前にセンター対策したほうがいい場合もある。

あまりにセンター問題だけ訓練すると伸びないことがある。

科目数が多い。バランスよく全体として底上げをねらうべきで、今から追い込めば相当伸びる。何をどうすればいいのかが分からないと伸びない。

基礎と過去問の繰り返しが、一番だと思う。予想問題中心とかはまずい。力試しに使うべきで,本試験の問題が一番まともで、これを解けるようにするべきだ。予備校の問題と質が違う。

まともな国語力のある人は、教科書とセンターの過去問の反復で、普通の国立なら合格点が取れると思う。塾生見ていてそう思う。センター対策とかの講座とるから点が伸びるという保証はない。金と時間のむだの可能性も高い。

なんとか対策講座というのは、あまりに安直過ぎて好きになれない。それは、大して点が伸びないことが多いからだ。付け焼刃ではなく何事もじっくりやるべきだ。

センターが取れるか取れないかはでかい。がんばろう。